2011年09月30日
2011年09月30日
仮設住宅用の料理教室
カセットコンロとフライパンで簡単料理
今後どうかと試しました。
トレーラーハウスで作りました。
いつものように忘れて食べてしまいました。
でも好評でした。
次回はもっと大人数でという話になりました。
今後どうかと試しました。
トレーラーハウスで作りました。
いつものように忘れて食べてしまいました。
でも好評でした。
次回はもっと大人数でという話になりました。

Posted by tsubasa912 at
19:58
│防災ボランティアドリームチーム集結
2011年09月30日
「心はひとつ」鳥取の中村さんからの手紙
“集結”で出会った皆様へ
私は緊急消防援助隊の1陣として南三陸町の戸倉地区周辺で活動をしました。
目の前に広がる光景を信じることができず、膝が震え、言葉を失いました。
あまりの被害の大きさに思うような活動もできず、無力さと悔しさだけを残して被災地を後にしました。その日からずっとこの時のやりきれない思いを拭い去ることはできませんでした。
震災から3ヶ月が過ぎた頃だったと思います。新潟の知人の消防士が気仙沼にボランティア活動に行ったことを知り、その中で“集結”の存在を知りました。自分ももう一度被災地に赴き、できることがあるのなら少しでもお手伝いしたいとの思いが強く沸き起こりました。即座に決心は固まり、家族や職場の皆さんの理解を得ることもでき再び宮城県へと足を運べることとなったのです。
半年ぶりに訪れた宮城県。遠く離れた鳥取県に暮らしていると、着々と復興に向かい元気を取り戻しつつある東北の姿ばかりがメディアで報じられており、人々は日常の中で東北の被災地の話題を口にすることもほとんどなくなってしまいました。例外なく自分も東北の順調な復興の様子を想像していました。
しかし、その楽観的な想像は無残に打ち砕かれました。目に飛び込む被災地の姿は自分の想像した姿とは遠く一致しませんでした。倒壊した建物はまだまだ多くその姿を残し、錆色の瓦礫がいく箇所にもうずたかく積み上げられ、不自然に陸地に佇む船、あちこちに散在する車はその甚大だった津波被害を静かに物語る証言者のようにも見えました。
変わっていたのは、一面を覆い尽くしていた瓦礫が撤去され、道が付き、電柱が立ち、人々が暮らしていた町が根こそぎ姿を消したその跡には草が生え茂り、灰色だった地面を緑に変えていることぐらいに思えました。
この甚大なる災害にとっては「まだ半年」なのかもしれない、しかしあれから「もう半年」なのです。この国はいったい何をしているんだと、怒りにも似た悔しさが感情を支配しました。
たったの5日間しか滞在できない自分にどんなお手伝いができるのだろうか?単独で行く事がかえって迷惑になりはしないのだろうか?と不安はありました。1人で飛び込んだ自分を受け入れてくださった“集結”の皆さんは現役を退いてもなお燃え滾る消防魂と篤い志を持ち、その真摯な取り組みは沢山の人々の心に伝わり、しっかりと気仙沼に根付き、地域の方々の頼れる存在として親しまれているように感じました。皆さんと出会った瞬間に1人で飛び込んだけど1人じゃない、思いを同じくした大先輩やここで活動を共にする仲間が居る、とにかく自分にできることを精一杯やろう。そう思えました。
わずか5日間という短い間でしたが“集結”の皆さんとご一緒させていただいた活動を通して、被災地の現状をこの目で見て、空気を肌で感じ、被災された方々の生の声を聞き、必死にがんばる姿に触れ、これから自分がやるべきこと、やらなければならないことが見えた気がします。
言葉は適切ではないのかもわかりませんが、自己満足だったのかもしれません。安にやりきれない自分の気持ちを埋めることが目的だったのかもしれません。でも、この現実に目を背け、思考停止させてはならない、東北が復活し、そして日本が復活するまで日本人が総動員でこの現実と向き合い、戦っていかなければならない。自分にできることは現実を直視し、それを正しく捉え、決して風化させることなく、気長な支援をおこなうこと。ひとりではなく日本人全員が心を“集結”させることがこの国を復活させる鍵になることを信じて行動することだと思います。
終わりに。“集結”でお世話になった皆様、出会った気仙沼の皆様、ありがとうございました。気仙沼滞在期間は力及ばぬ短い間ではありましたが、これからも遠く鳥取から精一杯のエールを送り、自分にできる行動を精一杯にやりつづけていこうと思っています。皆様との出会いはかけがえのない出会いとなりました。これから寒い冬がきます。集結の皆様、どうぞお体ご自愛され益々ご活躍されることを心からお祈り申しております。
がんばれ気仙沼!!がんばれ集結!!がんばれ自分!!絶対復活するぞニッポン!!
「心はひとつ。」
平成23年9月26日
鳥取県東部広域行政管理組合消防局
中村 昭
中村さんありがとうございます。
みんなで日本復活を!!
私は緊急消防援助隊の1陣として南三陸町の戸倉地区周辺で活動をしました。
目の前に広がる光景を信じることができず、膝が震え、言葉を失いました。
あまりの被害の大きさに思うような活動もできず、無力さと悔しさだけを残して被災地を後にしました。その日からずっとこの時のやりきれない思いを拭い去ることはできませんでした。
震災から3ヶ月が過ぎた頃だったと思います。新潟の知人の消防士が気仙沼にボランティア活動に行ったことを知り、その中で“集結”の存在を知りました。自分ももう一度被災地に赴き、できることがあるのなら少しでもお手伝いしたいとの思いが強く沸き起こりました。即座に決心は固まり、家族や職場の皆さんの理解を得ることもでき再び宮城県へと足を運べることとなったのです。
半年ぶりに訪れた宮城県。遠く離れた鳥取県に暮らしていると、着々と復興に向かい元気を取り戻しつつある東北の姿ばかりがメディアで報じられており、人々は日常の中で東北の被災地の話題を口にすることもほとんどなくなってしまいました。例外なく自分も東北の順調な復興の様子を想像していました。
しかし、その楽観的な想像は無残に打ち砕かれました。目に飛び込む被災地の姿は自分の想像した姿とは遠く一致しませんでした。倒壊した建物はまだまだ多くその姿を残し、錆色の瓦礫がいく箇所にもうずたかく積み上げられ、不自然に陸地に佇む船、あちこちに散在する車はその甚大だった津波被害を静かに物語る証言者のようにも見えました。
変わっていたのは、一面を覆い尽くしていた瓦礫が撤去され、道が付き、電柱が立ち、人々が暮らしていた町が根こそぎ姿を消したその跡には草が生え茂り、灰色だった地面を緑に変えていることぐらいに思えました。
この甚大なる災害にとっては「まだ半年」なのかもしれない、しかしあれから「もう半年」なのです。この国はいったい何をしているんだと、怒りにも似た悔しさが感情を支配しました。
たったの5日間しか滞在できない自分にどんなお手伝いができるのだろうか?単独で行く事がかえって迷惑になりはしないのだろうか?と不安はありました。1人で飛び込んだ自分を受け入れてくださった“集結”の皆さんは現役を退いてもなお燃え滾る消防魂と篤い志を持ち、その真摯な取り組みは沢山の人々の心に伝わり、しっかりと気仙沼に根付き、地域の方々の頼れる存在として親しまれているように感じました。皆さんと出会った瞬間に1人で飛び込んだけど1人じゃない、思いを同じくした大先輩やここで活動を共にする仲間が居る、とにかく自分にできることを精一杯やろう。そう思えました。
わずか5日間という短い間でしたが“集結”の皆さんとご一緒させていただいた活動を通して、被災地の現状をこの目で見て、空気を肌で感じ、被災された方々の生の声を聞き、必死にがんばる姿に触れ、これから自分がやるべきこと、やらなければならないことが見えた気がします。
言葉は適切ではないのかもわかりませんが、自己満足だったのかもしれません。安にやりきれない自分の気持ちを埋めることが目的だったのかもしれません。でも、この現実に目を背け、思考停止させてはならない、東北が復活し、そして日本が復活するまで日本人が総動員でこの現実と向き合い、戦っていかなければならない。自分にできることは現実を直視し、それを正しく捉え、決して風化させることなく、気長な支援をおこなうこと。ひとりではなく日本人全員が心を“集結”させることがこの国を復活させる鍵になることを信じて行動することだと思います。
終わりに。“集結”でお世話になった皆様、出会った気仙沼の皆様、ありがとうございました。気仙沼滞在期間は力及ばぬ短い間ではありましたが、これからも遠く鳥取から精一杯のエールを送り、自分にできる行動を精一杯にやりつづけていこうと思っています。皆様との出会いはかけがえのない出会いとなりました。これから寒い冬がきます。集結の皆様、どうぞお体ご自愛され益々ご活躍されることを心からお祈り申しております。
がんばれ気仙沼!!がんばれ集結!!がんばれ自分!!絶対復活するぞニッポン!!
「心はひとつ。」
平成23年9月26日
鳥取県東部広域行政管理組合消防局
中村 昭
中村さんありがとうございます。
みんなで日本復活を!!
Posted by tsubasa912 at
10:46
│防災ボランティアドリームチーム集結
2011年09月29日
2011年09月28日
2011年09月28日
2011年09月28日
2011年09月28日
2011年09月27日
2011年09月27日
2011年09月27日
2011年09月27日
2011年09月27日
2011年09月27日
お昼は貝の握りに
朝散歩に市場に行ってきました。
赤貝と小柱がおいしそうなので買ってきました。
お昼にちょっと握ろうかと


ホタテと子持ち昆布と早速秋刀魚を握りました。

笠間の青木ファームの新米でおいしかったです。
赤貝と小柱がおいしそうなので買ってきました。
お昼にちょっと握ろうかと
ホタテと子持ち昆布と早速秋刀魚を握りました。
笠間の青木ファームの新米でおいしかったです。
タグ :鮨
2011年09月27日
2011年09月26日
2011年09月26日
2011年09月26日
2011年09月26日
2011年09月26日
2011年09月26日
2011年09月25日
2011年09月24日
2011年09月24日
2011年09月24日
鳥取の中村さんお疲れ様でした
鳥取から集結の応援に来てくれた現役の消防士の中村さんが帰る前の日にくれたメールです。
中村さんは被災後緊急消防援助隊として南三陸町に救援活動に出動されていました。
志津川消防署は南三陸町にあります。
こちらにお世話になるのも残り一日になりました。
被災地の厳しい現状を目の当たりにし、地元の皆さんの生の声を聞き、そして自分の
力を少しでも被災地のためにと行動されている多くの方々と出会うことができ、かけがえ
のない時間を過ごす中であらためて自分の生き方までも見つめ直すきっかけになりました。
緊急消防援助隊として入った場所の現状も確かめることができました。志津川消防署
跡では涙が止まりませんでした。
これからは遠く離れていても自分にできることを精一杯やろうと思います。
あと一日精一杯のできること、やらせていただきたいと思っています。
帰りは台風の影響で19時間かかったそうです。
本当にお疲れ様でした。
また消防本部の皆様義援金を沢山あり画廊ございました。
心より御礼申し上げます。
これからも防災ボランティア集結を宜しくお願いいたします。
集結も毎日頑張っております。
中村さんは被災後緊急消防援助隊として南三陸町に救援活動に出動されていました。
志津川消防署は南三陸町にあります。
こちらにお世話になるのも残り一日になりました。
被災地の厳しい現状を目の当たりにし、地元の皆さんの生の声を聞き、そして自分の
力を少しでも被災地のためにと行動されている多くの方々と出会うことができ、かけがえ
のない時間を過ごす中であらためて自分の生き方までも見つめ直すきっかけになりました。
緊急消防援助隊として入った場所の現状も確かめることができました。志津川消防署
跡では涙が止まりませんでした。
これからは遠く離れていても自分にできることを精一杯やろうと思います。
あと一日精一杯のできること、やらせていただきたいと思っています。
帰りは台風の影響で19時間かかったそうです。
本当にお疲れ様でした。
また消防本部の皆様義援金を沢山あり画廊ございました。
心より御礼申し上げます。
これからも防災ボランティア集結を宜しくお願いいたします。
集結も毎日頑張っております。
タグ :チーム集結
Posted by tsubasa912 at
17:27
│防災ボランティアドリームチーム集結
2011年09月23日
2011年09月23日
2011年09月23日
2011年09月22日
玄関開けたらすごい香り
百合のすごい香りです。
十勝の百合が届いていました。
きれいです!!
カサグラデ

ビビアナ

ブーレスカ

今日は台風の影響で飛行機は遅れるし
首都高、湾岸が渋滞1時間かかりました。
普段の倍です。
でも昨日帯広の市会議員の方たちと東日本大震災のボランティア
活動のお話ができよかったです。
あちらのグループと連携してよりお手伝いができますように
これから進めていきます。
十勝の百合が届いていました。
きれいです!!
カサグラデ
ビビアナ
ブーレスカ
今日は台風の影響で飛行機は遅れるし
首都高、湾岸が渋滞1時間かかりました。
普段の倍です。
でも昨日帯広の市会議員の方たちと東日本大震災のボランティア
活動のお話ができよかったです。
あちらのグループと連携してよりお手伝いができますように
これから進めていきます。
タグ :百合